「感情に振り回されてはいけない」とか「感情に支配されてはならない」という、そういう種類の自律を求められて僕らは成長してきたんじゃないかなと感じます。
そうなると抑圧的になってしまい、自分の心を信頼できなくなってしまいます。自分が思うことを、嘘だと大事にできなくなってしまいます。だから、思考という打算で動くのだけれど、それがまたどうしてかうまくいかない。
思考は感情の上位に来るものだという風潮に対して、僕はそうではないと思っています。だからといって、感情に従えという表層的なことを言いたいわけではありません。感情に従って損をした、後悔したという経験もあるでしょう。
それは当たり前で、思考と感情は対立関係や分離しているものではなく、ピラミッドのような層になっているからです。思考を支えるのは感情です。なぜそのように考えるか、という思考の源泉は感情《動機》にある。
つまり感情で動こうが、思考で動こうか、基は一緒なので長期で見ると結果はそれほど変わらない。
「AIが思考する、ここに感情はないじゃないか」という反論に応えると、AIは、人間行動の蓄積データを分析して統計的なアンサーを出すようなものです。人間行動の基にあるのは感情なのだから、だからAIが思考するとき、マジョリティの感情を基にした結果を出す。統計的な行動予測と、自分の行動が合わないという人は、大多数が抱く感情を大して持っていないからでしょう。
思考は感情の家来と言えます。感情がネガティブであれば、家来の思考はネガティブを回避するために働きますが、ネガティブの回避は基本的に現状維持以上の効果はないので、それだけでは望んだ結果には繋がりません。そして現状維持は衰退を表すのでジリ貧です。
恐れや不安という根っこを持つ木が咲かせる花には、どのような生命が集まるでしょう。この木になる果実は、どのような味になりそうでしょう。
「恐れや不安という感情」に支配されないことが大切です。
だからといって、恐れや不安を自分の心の世界から排斥しようとするのは、恐れや不安に対して怖がっているのと同じです。
だから「別に怖くて良くね?」という姿勢でいることです。すべてを受け入れて進んできた人間は強いです。
うまくいくかどうかを考えすぎてしまうとき、そこにはワクワク成分が足りない。
不安の強い人はその分、挑戦することに対してワクワクできる人です。
どうしたら面白くなるか、楽しくなるかを考える才能を持っています。
「成功しても面白い、失敗しても面白い」がいいよね。
苦味や隠し味があるほうが、料理は想像以上に美味しくなるから、挑戦を恐れない。成功までの失敗は、それは試行錯誤というものです。
恐れの根っこをワクワクの根っこにしていくと色々状況が変わっていきます。
ワクワクの根っこを持つ木からなる果実は、当たりはずれあるかもしれませんが楽しいです。ハリーポッターに出てくる「百味ビーンズ」のようです。そこでは笑いが絶えません。
感謝の根っこを持つ木からなる果実は、どんな味でもしっかり味わおうと思います。二度と味わえないかもしれないから。
不安の根っこを持つ木からなる果実は、他の木の果実のほうがおいしいのではと思って、味がしません。もしくは依存性の強い味かもしれませんね。
あなたが大木だとしたら、今どんな花を咲かせ実をつけているでしょうか。それが根っこ(動機)の結果です。