与えられたものに価値を感じる

今までNoteに書いていた自分の考えや関心を、このRusicサイトで書くことにしました。着想の奥にある背景を知ってもらえたほうが、よりRusicへの理解に繋がりますからね。

僕は優柔不断です。選択肢はどれも楽しそうで面白そうで美味しそうで、だけど少食ですぐ満足してしまうから全部は選べないので迷ってしまうような、そういった優柔不断さです。どれか一つを選ぶほどの関心を持っていないのかなぁ、なんて思うこともあるけれど、結局どれを選んでも美味しかったとなるので、幸せでおめでたい考え方をしています。

『残り物には福がある』この言葉の解釈を、残ったそれを僕が選んだのではなく、「僕がそれに選ばれた」という“見えないなにか”が働いている点で、(もちろん選ぶこともできたけど)他の選ぶことができなかったものよりも価値があるのではないか?と考えています。

まぁ、どうしても食べたいものは先に食べたほうがいいですし、欲しいものは先んじて手に入れたらいいと思います。ここで言いたいことは、どれを選んでもいいぞというときには、残り続けているものを選ぶといいなと。

使命は、与えられるものだと思っています。地球に生まれる前の自分が決めてきたことかもしれませんが、その記憶がないので与えられたように感じます。

この世界は選択肢が多すぎて、でも僕らにはその選択肢をすべて選んでいけるほど時間が残されていないから、そこからいくつかを選ぶしかありません。少食の僕はたくさんの魅力的なメニューから一品しか選べない。そうなると、自分が選ぶのではなく「どのメニューが僕を選んでくれているか」がとても気になるのです。

使命が僕を選んでくれた。そう思うと、その期待に応えてやろうってなるじゃないですか。